統合失調症と向き合う

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佐伯洋子さん
佐伯洋子さん
(さえき ようこ)
(匿名)
1972年(昭和47年)生まれ、42歳(収録時)。病院で働きながら看護学生として生活していたが、19歳の時に「うつ病」と診断され、その後、統合失調症と診断される。精神科病院の入院経験は1度。看護師は諦めホームヘルパーの資格を取り、現在は、作業所に通いながら、ピアヘルパーとして働いている。当事者会「心ほがらかホットライン」も運営している。将来は、介護福祉士の資格を取り、より幅広く活動したいと思っている。今年(2014年)から自宅を離れ、ケアホームで暮らし始めた。
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3治療後の生活
Q.治療を受けたあとはどのような生活を?

「病院(の)デイケアじゃないねんけど、その頃はデイケアじゃないんやけど、毎日病院に通って、同じような境遇に遭った子としゃべっていました。

他の病院は静かじゃないですか?うちの病院は賑やかでね。だから(それを)先生に言うたら、『いいコミュニケーションの場になっているんだよぉ』とか言っていたから、すごく楽しく毎日病院(に)行っていました。」

Q.看護師を目指していましたが、その後、どうされましたか

「まず、看護婦(師)を、まだしたいから、学校に行きたいと言っても無理じゃないですか?あんなハードな実習、お金もかかるしね。だから、『ヘルパー(は?)』と医者に言われて、『ヘルパーの資格取ったらどうやぁ』と言われて、26(歳)の時にヘルパーの資格を取ったんです。

そこからが続かないんですよ。『ヘルパーの資格を取った、これでなんとかイケるわぁ』と思ってたんやけども、ヘルパーで、どこの事業所が雇ってくれるのか。その時にはピアヘルパーと、ピアもなかったし、普通の人の中でやっとってきたし。そんなん、いくら勉強してもね。

(資格を)取ったはいいんねん、そこからが続かなかった。そこから喫茶店に勤めに行って、ずっと何回も辞めたり、またお願いしたり、辞めたり、お願いしたりで、何回か、何十回も変わったかな?

ほんで、それから、行くところがないから(と)いうことで、保健所に相談したん。保健所に相談したら、とりあえず話だけ月に1回聞かせてと言われて、毎月、病院に行きながら保健所にも行って通っていたら、シャテキって知っています?社会適応訓練って“社適”と言うんですけど、その訓練で、身体障害者の施設に行って、外から来る利用者として通ったら、社会適応訓練1日2,000円おりてくるんですね。それで20日行ったら4万円じゃないですか。だからその4万円をもらいたいがために行っていたんです。」

Q.社会適応訓練に行っていかがでしたか

「それは、車椅子の押し方から全部、ヘルパーの(に)役立つことばっかりでした。

2年までなんです、社適は。その後が行くところがまた無くなって、すぐに作業所に行ったんや。今の作業所じゃなくて、交野(かたの)にある(別の)作業所に行って、そこからすぐに老人ホームに勤めに行くことになって…。」

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