統合失調症と向き合う

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清水康彦さん
清水康彦さん
(しみず やすひこ)
昭和50年生まれの42歳(収録時)。大学で歯学部の学生だった22、23歳の時に発症。医療保護入院の形で精神科治療を受けることになる。現在は、生活のリズムを作るために地域活動支援センターに行ったり、同じ病の仲間と集まるようになった。
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3入院治療
Q.病気治療や入院についての情報や助言などはありましたか

「当時なかったのですね、これがね。突然になりますけど、他の保護入院の方がどういう形をとられるのかちょっと知らないのですけども。

(保護室は)正確な日数は分からないのですけれども。保護室にいる時は、特に状態が悪い時なので、段階でいくと、自分は保護室から始まったのですけれど、保護室の周りに閉鎖病棟があって、しばらく保護室と閉鎖病棟を行ったり来たりしたのですよ。たぶん日数で言ったら1週間もいなかったと思うのですけれども。今いる、ここぐらいの部屋よりもうちょっと狭いぐらいの部屋かな。当時は、鉄格子しかない感じで、 “保護室”という部屋でしたね。

当時は、かなり強い薬を飲んでいたので、半分は、たぶん記憶もちょっと……。特に順番とかそこにいた人とかの記憶はかなりおぼろげですけど。」

Q.入院の経験は何回ですか

「初発の入院がそれで、もうちょっと程度が軽い任意入院というのですけれども、任意入院を2回ほどしましたね、これまでの間に。10年以上前になるかな。それ以降は入院していないです。

(初回の入院期間は)3月から7月なので、3〜4か月ぐらいはしていましたね。民間の病院ですけども、初めはそこにいたのです。閉鎖・開放、まあ、初めの入院の時はあまり開放とかに行かずに一気に退院したかもしれませんけれども……。でもその開放とか閉鎖とか、それはそれぞれの場所、一応、まあ変な形ですけど、いたことはありますね。」

Q.1回目の退院時、症状は良くなっていましたか

「まあ、いちばん初めの時は、良くなっていたと言っても、やっとこさ家に戻って来たぐらいの感じでしょうね、たぶんね。まだちょっと、さっき言った、どなったり声を上げたりすることもそんなに完全にはおさまっていないし、まだ声が出る時もあったから。

(家に)帰ってきたはきたけど、すぐデイケアに行けるのかどうかちょっと記憶が曖昧なのですけれど、まあほんとに、便宜上家に帰って来たぐらいの感じで。まあなんとかそこで生活してみてくれみたいな感じでしょうかね。」

Q.1回目の入院時に受けた治療法を教えてください

「やはり投薬治療がたぶんいちばん主流だと思います。とにかく薬を飲む習慣をつけるというか、入院中は、看護師さんが飲ませてくれるのですけれど、順番に出してくれて。

まず薬でしたね。その途中から、院内デイケアといって、病棟とちょっと違う部屋に行って少しデイケア的な話をしたりお茶を飲んだり、トランプしたり、そういうことをする部屋もちょっとあって、そういうこともしていました。」

Q.1回目から次の入院までの期間は?

「そこは結構長いですね。次に入院した時というのは、たぶんうちの祖父というかおじいちゃんが亡くなる寸前の、ちょっと調子が悪くなって家の中が結構、ひっちゃかめっちゃかになった頃だったので。その頃は今から考えてみると10年前ぐらいだから、まず入院して、出てから、すぐまた入院したわけではなくて、デイケアに通うことから始めたのです。病院についているデイケアというか、通院デイケアですけど。

それをしながら、まあ、かなりの期間を過ごして……。そうこうしているうちにさっき言っていた、支援センターの前身というか、そういった施設ができ始めてきて。で、ある程度、その間に良くなって、いっぺん、途中になっていた学校(大学)に1回戻ろうかという話までいったのですよ。(で)1回戻ってみたのですけど、まだやはり体力的には無理だなということになって、辞めて(実家に)戻って来たのですけどね。」

Q.2回目は任意入院だったそうですが、その理由を教えてください

「自分から、ちょっと休みたいから入院させてくれといって入院させてもらったのですけど、その時は逆にお願いして、今度は。

そうですね。やはり、祖父と祖母が共に、半分寝たきりになってしまって。両親が介護に行ったりという形で、ちょっと自分もその中で、何ができるわけでもなかったので、ちょっと、いるのがきついなという感じがあったのと、正直やっぱり症状がひどかったのでちょっと休みたいと言って、入院させてもらいました、一応。それもやはり3か月ぐらいしたら、たぶん出てきたと思います。」

Q.任意入院時の治療法は?

「任意の時は、もう既に長いので服薬の習慣はついているから、それはあまり変わらないのですけれど、逆に、任意の時はもっと緩いというか、特に、『あれせえ、これせえ』と言う需要がそんなになくて。そこで休んでいるという感じなのですよね。まあ、中には“休息入院”という言い方をする人もいますけど。まあ、変な話、一応、ご飯も出てくるし洗濯もしなくていいと。そういう感じの一応生活にはなるので、こういう病状の方が少しありがたい時もあるのですけどね。」

Q.3回目(最後)の入院について教えてください

「それは、最後のやつは、もしかしたらその2と3が順番逆かもしれませんけれど、その当時の似たような頃に、知り合いの人と自分は揉めてしまって。なんか『ちょっと疲れた』となって、病院に逃げ込んだというか、そんなような形の入院をしたのですね。それは本当に短期間でした。たぶん1か月も入っていない。1週間か2週間そこらでしたけれども。

精神療法というと、例えば具体的にはカウンセリングとかですか?自分はそういうのはあまり……、カウンセリングというものは受けてこなかったですね。デイケア治療の中で、精神(療法)に近いものはあったのですけれど、何やったかな。ちょっと小さい冊子みたいなものを病院で作っていて、薬のこととか病気のことがちょっと簡単に書いてあるのですけど、それを読みながらみんなで勉強会みたいなものがあったり、そういうことをやりましたし。SST、まあ病院のプログラムの中ではなくて、県の施設で開いていたピアカウンセリングセミナーというものが当時あったのですけれども。

結構前にありました。当時、そういう所はなかったみたいですけれど、そういうところのセミナーにちょっと呼ばれて行ったりはしていましたね。」

Q.統合失調症と診断された(分かった)のはいつ頃ですか

「結構早くて、初発の入院の時にもう先生から聞いたというか、なんか診断した紙かなんかに書いてありましたね。それを見せてくれたのですけど。当時は精神分裂病という言い方をしていましたが、それが何かはよく分かっていなかったので……。

(医師からの)説明というか、病気がどんなもの、こんなものという説明までは、さすがに患者さんと先生の間ではなかなかそこまでのやりとりはできないですね。忙しい方なので。

それが自分でどんなもんやろうという感じで、さっきのお勉強会やらなんやらを通してちょっとは知ってきたら、じゃ、どんなもんやろうなとやはり興味は自然と出るので、そういうところから、デイケアとかに行っていれば同じような方がやはり周りにおられるので、そういう方と接しながら、自分のことも逆に知るというか。そういう感じで、自分だけではなかなか分からなかったことも多いです、やはり。

病気がどんなものかというのは、まず初め分からないところから始まっているから、自分も、もう初めは、精神科の病気にはなったけれども、たぶんこれはしばらく寝ていて休んだりすれば治るものかとか、そういうふうに思っていたり。あとは、まあそれがいちばん大きいかな。しばらくすればすぐ治るものだと、その思い込みがなかなか取れなくて、それで結構苦しむんですね、体がついてこないから。

回りも、家族とか、そう思っているものですから、自分はなんだと思っているし、そのうちに治るのではかないという感じの体で普段いるのですよ。それがいちばんきつかったですかね、やはり。『なんで治らんの』とか、『なんでいつまでもひどいんやろう』とか思って、逆によく気が沈んだりするので。」

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