統合失調症と向き合う

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堤 敏行さん
堤 敏行さん
(つつみ としゆき)
1962年(昭和37年)生まれの55歳(収録時)。26歳で特別養護老人ホームの介護職として働いていた時に発症。入院体験は2回。現在はデイケアなどに通いながら、無理の無い範囲で介護のボランティア(傾聴、オセロゲームの相手など)を行っている。母親と二人暮らし。
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10いちばん辛かった時
Q.今まででいちばん辛かったのは?

「いちばん辛かったの……、JRを辞めるか辞めないかの時ですかね。その頃、ちょっと遠くの駅に勤めていたので、家に帰る時に、電車に乗って帰るのですよ。その時、窓から外を眺めながら、死ぬことばかり考えながら通っていたというか、その駅に。それがいちばんあれかな。かえって入院したほうがどん底を見るから、開き直れるけど、あの時はまだ、『もう、どうしよう、辞めるに辞めれないし』というか。」

Q.自殺を考えた時はどういったところで苦しんでいたのですか

「もう、将来がないと思って。もう仕事もできない、何もできないというか、夢もない。もう、家(から)外に出るのも、大変だったというか。死ぬしか……。だからそういうことを話せる立場だから、そういうことが活かせればいいかなぁと思って。年数が経てば、俺みたいな気持ちになる時もあるということを、知ってもらいたいというか。

時間は必要だと思います。悩んでいる時は、たぶん誰が言っても本人からしてみれば、大変だと思います。

まあ、自分も親戚の人からいろいろアドバイスを受けたりしたけど、やはりもうどうにもならなかったというか。やはり入院したり、いろんなところに住んでみたりして、その経験で、ここまで来られたというか。

でも、満足なのかな。働いていなくても、年金があるというか、小遣いぐらいにはなるというか。もし年金が全くなかったら、それこそ焦るしかないですけど。年金は、だから大事だと思います。」

Q.今、あなたを支えているものは?

「やはり、今、通所しているクリニックがあること自体ですかね。うちのクリニックは、訪問看護もあるのです。それこそ、最近行っていなかったのですけど、訪問に来てくれたり、『どうしてる?』という感じで、頼まなくて、心配というか、まあ、様子見にというか、訪問看護もあるというか。」

Q.今後の希望などがあれば教えてください

「希望ですけどね、せっかくピアサポーターの話を聞いたので、何かできることがあればやってみたいなと思うのですけど、どうなるかわからないけど。

去年、『べてる祭り(べてるの家が主催)』に行った時、発表で、ピアヘルパーという人が出ていて。そのピアヘルパーというのは、ヘルパーの資格がある人でやっているというのがあったから、ピアのヘルパーというか。だから、そういうのも、院長は刺激を受けたみたいだったですけど。具体的にはなっていないですけど、ヘルパーの資格を持っている人で、やれたらいいとかなんとかという話もあったみたいですけど……。

ヘルパー2級は取ったのですよ、そういえば、アパートに住んでいた時に。入院して、援護寮にいて、福祉ホームにいて、アパートを出て、で、また介護のことをやってみたいなと思ってヘルパーの資格を通って取ったのです。

あと、現実の施設というかシステムというか、じかに見たことも聞いたこともないので、そのやっていることを。それがいくらかの収入になればと思って。歳を考えると55(歳)なので、自分の経験が役に立てる仕事だったらいいのかなぁと思って。せっかく、人ができない経験をしてきたので、それが活かせればなぁと思って。

とりあえず今は、クリニックでその勉強会があるから、毎週木曜日の2週間にいっぺん。1時から3時半ぐらいだから2時間半ぐらいか。」

Q.精神障害を患ったあとの就労は難しいと思いますか

「体力的なものが、病気する前と後だと全然違うのですよね。病気する前の感覚だとできないというか、もう体がついていかないというか、もう疲れやすくて。違う。で、無理してやっているとまた再発というか、自分が経験したみたいに、警備の時みたいにできると思ってやっていたのに、かえって悪くなって再発したというか。それが経験あるのでなかなか踏み込めないというか。再発が怖いですね。

あまり、(先生も)就職のことは具体的には言われていないですよね。ただ、今行っているボランティアも、同じクリニックの横、隣にあるので、通いやすいことはやすいというか。スタッフもクリニックのスタッフだから、その高齢者施設も。

最初は自分からやりたいと言ったのかな、前、アパートに住んでた時にやっていたのですよ、初めてボランティアを。それがあったから、家に帰って来てからもボランティアをしたいなと思って、今のクリニックに移る前もボランティアしていたのです、他のところで。で、ボランティアの保険を毎年更新するのですけど、そのボランティア保険には10年以上入っていて、毎年。ボランティアに通った時の事故とか、ボランティア先で何か不都合があった時に保険が出るとか。年300円ぐらいかな。一応だから毎年、保険料を払って。

いいことというか、ご褒美をもらいましたね。今年というか、ボランティア登録11年だといって、社会福祉協議会から表彰されたというか。もう、嬉しいびっくりでしたね。それはね。そんなつもりではなかったけど、表彰状までもらって。ま、ずっとやっていたわけでないですけど、登録だけはずっとやっていたというか……。」

Q.精神障害に対して偏見や差別を感じたことはありますか

「あります。昔だと、アパートに住んでいた時に近所の人から特異な目で見られていたという感覚があったし。その当時、いくら病院の近くといっても、病気の当事者が近くに住むということがなかったみたいなので、不思議、敬遠されているような感じがしたというか。

日中、ずっといないわけではないので……。ちょっと(外に)出て、昼間に帰ってくるというか。だから午前中はいないけど昼からいるという感じだし、アパートにいても。おかしいというか。それでどこに行っているんだろう、歩いてどこかに行っているみたいだしというけどでも、こんなに近いからどこに行っているか、だいたい分かる。

あの病院に、今はまあ少しは良くなったのですけど、田舎なので、家の実家が。病気になった当初はやはり噂を聞いたのでしょうね。自分がやった行為を、いろんななんというか……白い目とかで見られていたというか。

だからなおさら家に引きこもったというか、病気になった当初は。田舎だからなおさらというか。でも、通院はしていたので、あの時は。でも車ではなくてタクシーで病院まで行っていたのかな。

でも、1〜2年ぐらいですかね。そのうち病院を移った時に、『いつまでも引きこもってばかりいるよりは、入院して気分転換というか、一生のうちの半年なんて短いから』と、その当時の先生に言われて、入院して、で、信頼したら、ちゃんと半年で退院させてくれたというか。その当時はそうでしたね、30年近く前は。」

Q.社会環境も変わったと思いますか

「すごく変わったと思います。病院の建物自体からして新しくなっているというか。今は開けているのか、今のクリニック自体も明るいし、病院自体の雰囲気がすごく変わった。

病院の職員の人とも、なんていうか普通に話せるというか。昔の人はなかなかそうはいかないかもしれないですけど、今のクリニックのスタッフの人とは普通に話せるというか、別に上下関係なくても。でも歳からするとスタッフ自体若いですけどね、今は。」

Q.差別や偏見が少なくなるために必要なことは何だと思いますか

「もっと知れ渡ることですかね。今のクリニックは、結構、開けたところにできているのですけど、昔は、人里離れたところとか辺鄙なところに病院があったから、何か恐れられたというか、昔の病院やなんか。子供には『あそこの病院入れるぞ』と脅かされるという話も聞いたことがあるし。だからもっとオープンな感じというかな。

今のクリニックは、セミナーとかある時にも、外部から人を呼んだりしているので、そういうのはいいかなぁと思って。病気自体が特別なことではないというかね。身近な病気だということも知ってもらうというか。いつ自分がなるというか分からないという感じで。『がん』と言っては悪いけどね、そういう感じというか……。」

Q.統合失調症をどのような病気だと思いますか

「すごく、いろんなものがあるんだなぁと思って。同じ統合失調症でも人によっては全然症状が違うというか。だから自分が分かっている範囲では理解しきれないところがあるというか。回復状態も違うし、幻聴がある人はずっとあるというか、それが当たり前と思っていた人もいるというか。だから、一概に統合失調症で一括りにできないなぁと思って。

俺の場合、幻視というかあれだったけど。(今は)幻視はないと思うのですけどね。幻聴とかはないですけど、でかい音は気になるというか。母親がテレビの音を大きくしていると気になるというのはあるけど。神経質だとは思います、そういう面では。」

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