統合失調症と向き合う

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渡邉康造さん
渡邉康造さん
(わたなべ こうぞう)
1964年(昭和39年)生まれ、49歳(収録時)。18歳(高校時)で精神科を受診する。何度かの入院を体験。現在は、地域生活支援センターなど地域の社会資源を利用しながら毎日を送っている。身体に障害を持つ方へのボランティア活動も行っている。3人きょうだいで、現在は母親と同居。
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4病院を変える
Q.病院を変えたきっかけを教えてください

「24歳の時、親父のいとこの市会議員の方が亡くなられて、お世話になったおじさんだから安定剤を飲んで次の日葬式に行こうと言っていたのに、安定剤を飲まなくて、バイクで福岡まで逃げました。それでおばさんのところに寄って…。でも長男のおじさんが『康造は言うことをきかん』ということで、8月20日がおじさんの命日でしたが、27、28日ぐらいですかね、そのへんから半強制的に入院させられました。

たぶんその時薬を飲んでいなかったのかなと思います。(僕が)24歳で、おじさんが亡くなった頃。入院しました、5か月でした、最高(最長)期間でした。(入院は)当時は今のように建物が良くなかったので、全体的に閉鎖病棟かなと…。はっきりは分かりませんね。」

Q.入院中はどのような治療を受けられましたか

「食生活(指導)と服薬ですね。あと、病院なりのいろんなレクリエーションとか行事ですね。」

Q.薬の効果は?

「(入院中)いやあ、もう安定剤の副作用がきついと思っていました。頭(に何かが)かぶった感じがきついです。締めつけられたみたいになりました、首から頭が。

25、26歳の時はまったく安定剤を飲めなかった経過があるのですけど。安定剤を飲むと、無理に寝かせたりするから、睡眠薬も飲むし、常時、安定剤がなくて睡眠薬を飲んでいたと思うから、自律神経失調症のような症状が出て、きついんですよ、もう。今でも多少はあると思うのですけど、軽いですね、症状は。

それでうちの父がテレビを見ていて、病院が大分にあったのですが、リウマチ専門の病院で、冷凍治療をしている。マイナス150度ぐらいのボックスに1分30秒ぐらい入って、駆け足で走って出たら運動するとリウマチが治ったりいろんな病気が治ったりするというところに行かないかと親父から言われて行きました。1か月半ぐらい行ったと思うのですけど。それで体力がバリバリになりました。トレーニングをしたのです、スポーツジムみたいなところで。

そこで1か月ちょっとトレーニングして。その時も僕が受けつけなかったですね、安定剤を。拒んでいました。それでずっと1か月半トレーニングして宮崎(実家)に帰ってから、25、26歳の時は、全然安定剤を飲まなくて(も)へっちゃらでした。で、毎朝、2.5キロぐらい走っていました。夕方も2.5キロ走って(1日)5キロぐらいトレーニングをして。当時は、(身長)172センチの(体重)57キロでした。」

Q.自身の病気をどのように思っていましたか

「1900年後半(1990年代後半)頃からですね、病は気だとか、サイコ(サイコパス)についての本がベストセラーになった時期がありましたよね。『別冊宝島』の気で治る本とかね。ああいうのを読むのが楽しみでした。そういうサイコ的な本で自己主張をしていました、ドクターに。当時の仲間で。その時も新興宗教が流行っていたけど…、たまに新興宗教に惹かれている傾向の時がちょっとありましたけど。

で、自分の病気は、当時は医原病(いげんびょう)というのを知らなかったのですが、医原病、そんな感じで考えていた傾向がありましたね。

今は違います。やっぱり統合失調症の症状があると思っています。やっぱり、こう、前頭葉が…アンバランスな症状を感じていますので。いろんなカウンセラーの先生から聞かされたことでやっぱり統合失調症の症状だと考えています。」

医原病:医療行為が原因で生ずる病気のこと。
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