統合失調症と向き合う

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中村 ユキさん
中村 ユキさん
(なかむら・ゆき)
漫画家。ユキさんが4歳のときにお母さんが精神科を受診。約30年にわたる統合失調症のお母さんとの悲喜こもごもの生活を明るくユーモアたっぷりに描いたコミックエッセイ「わが家の母はビョーキです」(サンマーク出版)を2008年11月に出版。現在、59歳になるお母さんと夫(介護福祉士)との3人暮らし。お母さんの統合失調症再発予防の取り組みについて描いた「わが家の母はビョーキです2:家族の絆 編」が2010年5月に、思春期向けの「うちの子に限って!?(宮田雄吾共著)」(学研)が9月に発行。近著に「マンガでわかる!統合失調症」がある。
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11978年―母に起きた異変

「まず、幻聴です。『隣の家の人が自分の悪口を言っている』というのが始まりでした。でも家族はまさかそんな声も聞こえないし、何を言っているんだろうというぐらいでほっておいたんですね。そして、次に家族に分かる行動を取ったのは、ご近所の家に靴のまま飛び込んでしまったんですよ。それでご近所の方から、『お宅のお嫁さんがなんかおかしくて』、というので家族で行ってみたら、よそのお宅で振るえて、『ここに飛び込まないと殺すと言われるから』みたいな訳の分からないようなことを言うので、『あれ』ということで気づきました。

そのあと、田舎に帰ることになったんですけど、その後もすぐ病院には行かなかったんですよ。ただ静養しておくかという感じで実家(千葉県)にいるときに、ある日突然、裸足になって、目をつぶって、『命令が聞こえて裸足で歩けと言われる』というので、私をつれて町中を闊歩するということがありました。やっぱり異様な光景じゃないですか、目をつぶって歩くんですから、裸足で。それで実家のほうがこれはちょっとおかしいということで、地元の山奥の精神科病院に(母を)連れて行ったのが入院のきっかけになりました。」

●入退院・治療中断の繰り返し

「入院になって、それから未治療で、具合が悪くなってから入院するというパターンで、初めは、2回入院したんですね。で、なぜか家族もその場しのぎで入院はさせたもののそのあとおかしいから治療をさせようというのはなかったみたいです。母も、幻聴が聞こえると言っても、家族がちゃんと真面目に捉えてくれないので、もう言わなくなってきてしまったんですよ、内にこめちゃったというか。なんかおかしいなあというので、初めて病院にかかるようになったのが、私が小学校の低学年ぐらいなので、入院から2、3年経ったような気がするんですけど。

たぶん入院のときに精神分裂病(現在は統合失調症)ですという説明はあったとは思うんですけど、うちの家族、父とかがあんまり家族(母)に無関心な人だったと思うので、そのあと、ちゃんと治療しなきゃとか考えなかったんだと思うんですね。なので、私もまだ4歳とか幼子だったので分からないまま、そのまま放置という形になってしまいました。で、私も、小さいときからずっとそういう母の精神障害の、おかしいような状況で緩やか〜に育ってきたもので、特に(病気のことを)勉強しなきゃとか、20歳超えるまで真剣に考えたことはなかったです。教えられることもなかったですし。」

●医師の診断

「母がちゃんと病状を説明していなかったんですよ、お医者様に。それは恥ずかしいという気持ちもあったようで、家でものすごく大暴れしたり、言動がおかしいということがあって、私も母にはそんなんだよというのは伝えていたにも関わらず、日常ちょっと仕事でトラブッた話とか、悩み事とか、軽い話しか先生にはお話していませんでした。なので、そのときは(精神)分裂病というよりは、ヒステリー症とか、気分障害、うつ病みたいな、そういうちょっと違う(病名)、似たような病状があるような別の診断をくだされていました。」

●処方・服薬状況

「(当時の治療)内容をまったく憶えていなくて。そのとき、私、薬のチェックをしてあげなきゃとか、そういうことへまったく知識がなかったので、まあ、病院に行っているからいいやと、ほったらかしにしていたんですね。本人まかせといいましょうか。なので、そのとき何の薬が出ていたのかさっぱり憶えていないです。病院に通って、一応、薬をいただいているだけでした。本人はものすごく調子が悪いときは(薬を)飲んでいたようですけど、それ以外では、頭がボーッとして働けなくなるということで、勝手に飲むのをやめていたりしていたみたいですね。」

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