統合失調症と向き合う

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笠原 健さん
笠原 健さん
(かさはら けん)
1977年(昭和52年)生まれの38歳(収録時)。26歳、精神科病院で作業療法士として働いていた時に症状が出現。その後、病院を退職し、現在は、入院している患者さんの退院準備プログラムの手伝いや精神疾患の啓発などピアサポーター活動を行い、アーティストとして絵や詩も書いている。
「詩人artistけんぼーの世界」はこちらからご覧ください→https://kenbo1219.jimdo.com/
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10アーティストとしての活動について
Q.アーティストとして活躍し始めたのはいつからですか

『詩人artistけんぼー』は、路上に座ったのですよ。ピアサポーターと同時並行ぐらいでやっていたから、講演も6〜7年ぐらいになるのかもしれないですけど。

ピアサポーターの活動、仕事とか講演が、最初の頃はやはりちょっとずつ展開していた感じだったので、路上詩人のほうがほとんど多くて。だけど、いろんな方にメッセージを書かしてもらうということを僕がやり始めたきっかけというのも、友達が自殺して、二人亡くなったのですね。同室だった子であったり……。で、その(うちの)一人の子が、僕によく口癖で言っていたのは、『社会に出たら、まだチャンスあるよね、まだチャンスあるよね』と、僕によく言っていて。で、僕は先に退院したのですけど、診察の度に面会に行って、こんなふうにやっているよとかいろいろ話しながら。だけど、病院の中で、外の世界を見ずして自殺してしまったというか。

もう一人は、やはり社会に出たら、偏見みたいなものがあったり、(社会に)出てくる中で、やはり病気をオープンにするのが、ちょっと戸惑いがあったりして、やはりクローズドで働いていた子がいて。だけどその子はてんかんを持っていて、バタバタ倒れ始めた時に、偏見の目で追いやられて、引きこもるようになって、家でも、身内でも自分の部屋に入れないような感じにさえなっていって。それで、自殺しようと思っていたのかもしれないですけど。

そういう両極端というか……、社会に出ても偏見の目で(追い)やられて自殺した子と、『社会に出たら、まだチャンスあるよね、チャンスあるよね』と言いながら、社会という大きい世界を見ずして小さい病院の世界だけで亡くなってしまった子とがいて。僕も、すごく追いやられて、過量服薬して、一度だけ、ちょっとなくなってしまいたいなという思いに駆られて飲んだのだけど、朝、普通に目が覚めた瞬間に、ドーンと言葉が降りてきて。それが『輝くまで磨ききれ』という言葉だったのです。それもまた、すごい言葉だなと思って……。

僕の中で人生って、生まれ落ちてから亡くなるまでというのが、その『輝くまで磨ききれ』という言葉に集約されていくような……、あるのですけど。きれいな向こうの透き通るような魂が降りてきて、舞い降りて、で、人生という道の中で、いろいろな傷を負って、いろいろな思いにもなって、すごくくすんでいったりしていくのだけど、傷をなくすように磨いていく。くすんでいるのを磨いて、きれいにしていくというのが人生であって、で、きれいになって、向こうが透き通るほどのものになって還っていくというか。

その、二人の亡くなったことと、『精神』というドキュメンタリー映画があって。今は、もうなくなったみたいですけど、岡山の診療所の先生がそのドキュメンタリー映画の中で『世間は病者に対してカーテンレールを引いている』という言葉を言われて。それはすぐ偏見という意味では分かったのですけど、もう1つ大事なことがあるんだと。それが『病者も世間に対してカーテンレールを引いているんだ』と言われていて。それはだから、いえば内なる偏見というか。

で4年間、(地域活動支援)センターに通っていると、みんなやはり同じような病を持っているから、病のこととかを話すのですけど、デイケアでもそうだと思うのですけど、まだ、傷のなめ合いというか……。で、いちばん世間、社会が自分達を偏見で見ているから自分達は社会に出られないというようなことを言った時に、いえばまた人のせいにしているというような思いがして。『ほな、自分達が社会に対して何か働きかけたの?』と言ってみれば、何も行動していなくて……。『ほな、偏見って何も動かないよね』みたいな。誰かが動いてくれて偏見がなくなるようになってもらえたら、とか、いわば他人任せというか。『なんかなぁ』と、いろんな思いがあって。

路上に座ってメッセージを書かせてもらえる人と出会えた時に、作品とかも何作品か置いていて、自然の流れで、『なんでこういうふうに詩を書くようになったんですか?』となってくるのですね。(そう)なった時に、書き始めた当時の話をするのはやはり精神科の話を出していくので、『僕は精神疾患を持っていて』ということをそのまま普通に話していって。で、なんかちょっとでも理解というか、世間でいう、メディアで放映されているような精神障害に対する放映の仕方というのは偏っているというか。怖いとか、何をやるか分からないというようなものがすごく広がっているような感じさえしていて……ま、それも、ちょっと違うよというようなことにもつながったらなという思いもあって……。」

Q.自身の病気のことをオープンにする時は勇気がいりましたか

「勇気がいった。だけどメッセージを書かしてもらって、すごく涙を流してくださる方もいたり、実は身内に精神疾患の子が、人というか身内にいるのですという方と出会うことになったり、友達にそういう人がいてとか、自分が悩んでいてとか。どんな人も、自分の目の前を通り過ぎる人(でも)、誰もが悩みとか不安を持って生きている中で、いつ精神疾患にかかるかも分からないのは現実としてあって。だからどんな悩みでも不安でも聞きますよということも、僕はメッセージを書くだけではなくてその人の話を聞いて何か伝えて、何かのいいきっかけになればなとか、そういうものも感じてやっていたのですけど。

(最近は)ちょっとできてなくて、年に3回……、5回ぐらいで、今年(2016年)も。去年がいちばん少なくて、5回もなかったのですね。で、結局再発して入院してしまったのですよ、今年の1月に、1か月。

この1か月でいろいろ考えたのですけど。自分らしさがなく、唯一、キラキラしているというか活き活きしているというか、そうなれるのは、目的、志があって、講演もいろいろやっているのですけど、やはり、詩と絵がいちばん僕の中でキラキラしていたのかなぁみたいなことを、改めて感じた1か月というか。だけど、今年(2016年)、1月に入院して退院して、大事にしていきたいなとは思いつつも、現実の流れに流れてしまって、なかなか出られないというか。

だけど、路上は一期一会の出会いが数多くあるのですけど……。この間も、路上に出た時に、普通は、だいたい(午後)6時ぐらいまでで帰るのですけど、8時ぐらいまで、その時だけはいたのですよ。片づけ間際に立ち止まられたお母さんがいて、で、『ちょっと私(に)書いてもらえますか?』と言われたのですね。書き始めの前に、『この前、これたぶん息子が書いてもらったと思うのですよね、よく似ていて』みたいなことを言われて。

僕も最近、そんな出ていない中でそんなことを言われたので、いつぐらいに書いてもらったとか、どんな感じの色紙でした?みたいなことを言ったら、色紙の内容は、僕、子どもの絵を描くのですけど、子どもの絵を描いて、ハートを持っていて、四つ葉を持っていてとか、これ、僕だなというのは分かったのですけど。それで、書いたのが去年(2015年)だというのですね。去年も5回も出ていなくて、その1回のたぶん奇跡なのですけど。で、僕が書いている時に、音楽を流しながら言葉を頂いて。大切にしている言葉であったり、いつも僕の目の前にいる時にポジティブであるわけでもないとは思うし、だからネガティブであって気にかかるエピソードとかがあったらみたいなことも、いつも聞くのですけど、書かしてもらう時には。

音楽を流しながら書いている時に泣いておられて。それで、最後、色紙を見せて読み上げた時に涙がまた止まらなくなっていて。それで話をいろいろし始めた時に、息子さんが、『病気で亡くなったんですよね』と言われたのですね。それで荷物を整理していた時に色紙が出てきて……、『書いてもらった。これお母さん書いてもらったよ』と言って見せてくれたのを憶えていて。『この間飾っていたんですよ』と。

『どこにお母さん住んでおられるんですか』と言ったら、遠い所なのですね。息子さんも、たまたまその時に神戸に友達と買物に行ってくると言って来られて出会ったのですけど……。それで、やはり僕が、詩をメッセージを伝えるに至った経緯というか。やはり精神疾患のことも言うのですけど、そしたらお母さんがすごく驚かれたというか……。実は、息子も精神疾患(に)、僕と会ったあとになったのか分からないですけど。で、薬を飲まなかったのですと、服薬を拒否していて。それで、自殺してしまったらしくて25〜26歳の時ね。それでお母さんもその時にたまたま神戸に来られていて、僕と出会ったというか。

それで、旦那さんも、今思えば精神疾患だったのか、『自殺してしまって』と言われて。だからまだそのお母さん自身が、旦那さんも息子さんも亡くなってしまって、心の整理がつかなくている時に、僕の目の前に出会って。で、誰にも見せないのですけどと言って出されたのが、息子さんの遺骨が入ったネックレス。だから息子さんが、『お母さん、会いに行って』みたいな、導いたのかなみたいな……。」

Q.路上詩人として人との出会いはこころの支えになっていますか

「なっていますね。路上して、メッセージを書いて、ありがとうございますと言われて終わりではなくて、何か書かしてもらえてありがとうございますと、もう一度ありがとうを返すというか、そういうメッセージを伝える、役に立てたというか……、『人の役に、まだ自分は立てるんだ』ということを感じられたというか。

やはり精神疾患を持った当初とか、まだ回復しえない状況の時というのは、自分はもう役に立たないというか、自暴自棄になるというか。どうして生きていこうみたいなところで、路上でいろんな人と出会う中で、いろんな学ぶこともあったり気づくこともあったり、やはり不条理なこともいろいろありますけど。」

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