統合失調症と向き合う

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辰村泰治さん
辰村泰治さん
(たつむら やすはる)
1937年生まれ。2011年6月で74歳。大学生時代に発症。数回の入院、そして最後は22年間の長期入院生活を経験し、11年前に退院。現在は、社会福祉施設の運営するグループホームに住まい、いくつかの仕事にも従事している。音楽鑑賞と読書を楽しむ毎日を送っている。著書に『辰村泰治の七十年』(やどかり出版)がある。
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5最後の入院について
Q.最後の入院期間は?

「22年です。22年間入院を余儀なくされました。それがお陰様で(胃潰瘍が)治りましたので、それから他に、椎間板ヘルニアだとか、それから歯がものすごく悪くなりまして、歯医者に行ったりしましたけども。

入院してから6年目ぐらいには、完全に病院の中の仕事の手伝いなどができるような状態にまで良くなっておりましたので、『先生、退院させてもらえませんか』と言ったら、『退院したいって言うけど、辰村さんあなた結婚してないから女房子供いないじゃないか。親戚で誰か頼れる人いるのか』と。その頃、おじさんおばさんはもう老齢でしたし、亡くなった人もいますので、もうこれ以上親戚の世話になりたくないと思ったので、そちらのほうは頼ることをよしていたんです。そうすると、『引き取り人がいないじゃないの』と、先生が言われた。引取り人のいない患者を、1人で外へ出すわけにはいかないんだと。で、『あなた、この頃、病院のいろんな仕事をやってくれて』と。手伝いさせる、そういう病院だったんですね。ヘルパーなど雇っていなかったんです。で、病棟の掃除だとか、風呂掃除だとか、トイレ掃除もやりましたね。それから、患者を搬送する仕事もやりましたし、中庭の掃除だとか…。結局、最終的には、私、その病院の厨房で、朝の給食作業を12年間、ただ働きでしておりました。

それから私、お金を持っていなかったので、亡くなった院長先生が、生活保護を、市から取ってくれまして、それで、生活費も治療代も薬代も…。今でももらっております、市から。その生活保護費を元手に、私の病院の中でのいろいろな生活があったわけですけども。」

生活保護:病気やけがで収入がない、もしくは収入が不十分なときに、最低限度の生活を保障する制度。年金やその他の経済支援で利用できものがあればそれを優先して利用し、それでも不足する分を生活保護で受給する。

Q.入院中の生活は?

「大部屋です、畳の。一室が2つに分かれていて、真ん中にテーブルがあって、ここでみんな食事するんですけど、こっちの部屋に5人、こっちの部屋に5人ぐらいで、そういう大部屋に住んでおりました。

いろんな患者がいまして、交通事故関係で頭おかしくなったり、老齢のためにお風呂も入れないと。不潔な患者もいましたよ。そういう患者の面倒まで、私が見るような…、要するに便利屋になれたんですね、その病院で。それで、そこの病院を退院する時に、それまでずっと10年以上、炊事し、厨房で朝の給食作業の手伝いやっていたんですけど、洗いものなどはほとんど私やりましたよね。

毎月きちんきちんと生活保護は、病院の事務の方へ送ってきていたのです。だから『精神科の病棟はあそこの病院のドル箱だ』と、人は言っていたらしいんですけど。それから、患者を入院させるとなかなか退院させてくれない病院だと、患者の間では、評判だったらしい。」

Q.22年間入院していた病院から退院したきっかけは?

「その頃、院長先生が亡くなりまして、職員の顔ぶれもお医者さんの顔ぶれもだいぶ替わりました。で、ある日ある時、私に『辰村さん、診察室へ行ってください』と呼ばれて行きましたら、『辰村さん、私は今度この病院の副院長として赴任してきた精神科医ですけども、あなたの精神科の病気は治っているから、退院しませんか?』と、こうきたんです。

私、驚きましてね。『実は私もずうっと前にね、退院したくて先生にお願いしたんですよ』って、別な先生ですけど。そしたら付添い人がいないし、部屋を貸してくれる家主もいないし、それから仕事をくれる経営者もいないので。まあ、たまに雇われても安い賃金で重労働でこき使われて、具合が悪くなるとまた元の病院に帰って来ると。そんなの見ているんだからって言われて、私はもう退院を諦めていました。この病院で一所懸命働いて、ま、なるべく皆さんにかわいがってもらって、この病院で死ぬつもりでいたんですと、言ったんです。

そしたら、その新しく来た先生が、ここから歩いて30分ぐらいのところに精神障害者の社会福祉施設『やどかりの里』というところがあるんだよと。そこには仕事もあるし、部屋もある。で、そこの職員達はみんな良心的で、ともかく『やどかりの里』というところへ退院できるから、退院しませんか?ときたんです。

少し考えさせてもらいますと、部屋に戻ったんです。そしたら同じ仲間が1人ずつ呼ばれまして、同じことを言われているんですね。みんなで『やどかりの里ってなんだべ』ということになって、精神障害者を訓練でもする施設かなあなんて思っていました。で、結局そこの新しく来た先生が、この病院ではじめて、精神科にケースワーカーを入れるから、そのケースワーカーがあなた達の退院の面倒を見てくれるからと言うので、3か月ぐらいしましたら、ケースワーカーが1人入りました。働き盛りの30代で、逞しい、頭のいい人で、私、ほんとにお世話になりましたけれども。

そしたらね、あなた方に、これから毎週、月曜日に車で迎えに来て、まず最初5人ぐらい、『やどかりの里』へ案内しますから、よく見てくださいと。で、最初に行ったところは、作業所でしたけども、内職をやっていましてね。で、病院から歩いて30分ぐらいのところだった(ので)、歩いて行ったんですけど。2時間ぐらい内職して、休み時間がきたら、その作業所の2階でお茶を淹れてくれまして、『やどかりの里』の先輩たちと、いろいろ話ができたわけです。そして、早く退院して、『やどかりの里』へいらっしゃいと。ま、そういうことで『やどかりの里』へお世話になるようになったんです。

今から11年前、62歳ぐらいですかね。」

Q.『やどかりの里』の印象はいかがでしたか

「なんかね、みんな楽しそうだしね、いわゆる病院の中の患者じゃないですね。明るい感じがしましたね。話も分かってくれましたしね。そのケースワーカーの方がほんとに、退院の時は荷物を運んだり、現在住んでいるアパートへ案内してくれたり、お世話になりました。」

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