統合失調症と向き合う

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福田一夫さん
福田一夫さん
(ふくだ かずお)
1969年(昭和44年)生まれの45歳(収録時)。大学4年生の時に発症し、3回の入院を体験する。大学卒業後、就職するが病気の再燃により退職。その後、大学院に入り勉学に勤しみ、現在は清掃会社に勤務している。勉強することが好きで、日本経営学会の一員として経営学の研究をしたり、放送大学などで聴講している。一人暮らし。収録時、襟元には日光彫りのループタイが結ばれていた。
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10症状の再燃について
Q.休職とその後の生活を教えてください

「基本的には統合失調症の症状が再燃したということではなくて、私としては、自分だけの考え方が特別に変わっていたとは思っていないのですけども……。私はうつ病みたいなのを併発してしまったということです。

(郵便局の)みんなすべての人から『仲間なんだよ』と迎え入れてもらえるのに6年とか7年かかっていましたから、(再燃は)本当に痛かったですね。やっとみんなから受け入れられて、やっとこの仕事で食べていけるのではないかなというか感覚というか自信も出てきた矢先だったもので。

気分が晴れない毎日で、どうすることもできませんでした。自分なりに、もがいたり苦しんだりいろいろしていまして、不安で不安でしょうがないからもう動いて。で、それまでいつか大学院に行ってみたいなと思って貯めていたお金も全部、使い果たしていくわけです。貯めていたお金もなくなりかけてきた時に措置入院です。当然復職の目途もついていないままでした。

で、当時は体温のコントロールがつかなくて、疲れやすくて、もう寝てばかりの毎日が続いていました。

2004年(実際は2002年)に、初めて放送大学の修士課程に入っていたのですけども、修士課程も病気が原因で辞めていました。措置入院で、1年間、学籍を失っていたのですけども、頭のリハビリにもなるのではないかというようなことで、郵政省にも許可を取って、放送大学にまた籍を持ちました。それもはっきり言って、大学4年の時に果たせなかった夢ですね。

で、そこにはまた新たな事由が加わっていて、また郵政には必ず復職したいからということで目指してはいたのですけれども、車の免許もないわけですよ。バイクしかないわけです。それまでに3回ぐらい自動車の免許を取りに行って取れなかったもので、もう、自分には無理だと思っていたので、当然また行き詰まるだろうし。今の体調でできる仕事といったら、自分の学んできたことを教鞭できるような場があればいいのではないか。まあ、それを大学に求めるとするならば、修士号を取って博士号を取ってという1つの道がありますね、これをやってみたい。『これしかもう生き残る方法がないんだ』みたいな感じで行きました。

多くの人が反対しました。やめなさいとか、そんな(ことは)無駄だとか、はっきり言ってやる必要が無いんだと、そんなことしたってなんの意味も無いんだみたいな感じで言われたのですけども、すべてのそういう反対を引きちぎって、『俺はこれしかないんだ』という感じで、やってきました。

で、今から4年前に大学院博士後期過程を満期退学して、現在、博士号も取れていないような状況です。ま、そういった人から見ればやはり無駄だったろうなというふうになるかもしれませんけれども、私としては、博士号はまだ目指したいし、目指しています。ただ、問題なのは、年齢の関係とかで、はっきり言ってもう大学に就職することは、まずできないでしょうね、常識的には。」

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